〜 社長 鞍とは‥ : 社長の意見 〜

2010年5月19日 人生と時間

人は誰でも母親の胎内から生まれて生を受け、そして必ず最後は死ぬ。
これは例え、何処の国の王様でも最高の権力者でも避けて通る事は出来ない人間の宿命だ。

長い人で80〜90年の歳月を生きる
短かければ40代で亡くなる人もいる。

昔私がシーサイドが潰れ、細々とブローカーを始めた頃 (1980年初頭)
数少ないお客様の中でも私を可愛がって頂いていた、和田さんと言う人がいた。

このあいだテレビを眺めていたら、その和田さんが出ていた懐かしい番組をやっていた。
初代の 東野栄治さんが主役を勤める 水戸黄門。
だから30年くらいは前の放送だ。

そう、和田さんは和田浩治と言い日活のニューフェイスで俳優の道に入った男前だったのだ。
そのころ、私は30歳くらい、和田さんは40の手前くらいだった。
彼はシーサイドの時からポルシェを乗り継ぎ、当時まだ珍しかった
ディノ 246GTを購入し、乗り回していた。
当時の生写真で 黄色で下が黒のツートン その黒い部分に
FERRARI DINO 246GT と切り抜いた写真をまだ持っている人もいるだろう。

そして1978年頃、つまりシーサイドが潰れる2年前くらいに
マセラーティーの BORA (ボーラ)を新車で購入した。

ボディカラーは 濃いグリーンメタリック。
それで 六本木などを走り回っていたわけだ。

当時ボクシングの世界チャンピオンになったばかりの、ガッツ石松さんを
紹介してもらったのも彼だった。
ガッツさんにはランボルギーニ エスパーダを無理矢理買ってもらった。
勿論 和田さんの勧めで。3ヵ月後には戻されたが。

当時彼は若手俳優として順風漫歩、銀座ナンバーワンホステスとして名を馳せた
クラブ順子の順子ママと結婚もし、
公私ともどもいう事も無い人生を歩んでいた。

ところが好事魔多しという。
病魔が彼を襲ったのだ。胃がんだった。
勿論ありとあらゆる治療を受け、最後jは祈祷までしたが
手遅れだった。

そんなある日、和田さんから一本の電話があった。
自分の所有している車を処分したいから家に来てくれと。

世田谷の瀟洒な家に行くと和田さんは笑顔で迎えてくれた。
そのころ彼は 512BBのケーニッヒ仕様、それとベンツのSLを持っていた。
その2台を私に任せるから売って欲しいと言う。

元気だった頃に比べると頬もこけ痩せてはいたが、眼だけは力強かったのを今でも覚えている。

その愛車たちを私が処分して半年後に和田さんは亡くなった。
つまり死期を悟ったということだ。
享年42歳だった。

これを見ていただいている方も 40代の人が大勢いるだろう。
勿論、みんなが皆40代で死ぬわけではない。
だが、病気でなくても、交通事故で死ぬかも知れないし
人生は予測不可能だ。

ならばどうすれば良い?

今の元気なうちにやりたい事をやって買いたいものを買えばよい。。
これが原点だ。

このあいだ、10年前から ミウラSVが欲しいから貯金をしているという人から電話があった。
当時は SVでも 4000万円しないくらい。
ところが今は その2倍の8000万だ。

つまり世の中は非情だし、人生も非情だ。
自分の願いを聞いてくれて待ってくれるほど世の中は甘くない。

だからこそ、先に行動を起こし、自分自身にチャレンジするのだ。
最近、顔が後を向いている、そんな人が多い。
ここでしっかりと気合を入れなおそうではないか!!

いつもの標語、人生一度きり 若いときは2度と無い。