〜 シーサイド物語 〜

■ サーキットの狼、社会的ブーム  その6



3年前のイベントで、左から2人目が、池澤さん。隣が私。

彼と初めて会ったのは、ちょうど少年ジャンプという漫画本に、サーキットの狼を連載し始めた頃だった。
私が入社した次の年だから、1975年の初め、私が25歳、彼が27歳のときだった。
そのころすでに、前作の嵐3匹という漫画で、ある程度の地位を築いていた彼は、アシスタントを2人雇い、杉並のアパートの
仕事場で、私にポルシェターボの新車を、ミツワにオーダーしたんだよと、嬉しそうに語ってくれた。
それから、無類の車好きということもあり、私と (すなわちシーサイドとの) つきあいが始まるようになる。

あとで聞いた話だが、このサーキットの狼を連載するにあたって、ジャンプの編集部ではかなり難色を示したという。
それも当然で、まだ世間には、ミウラや、カウンタックといっても、誰も知らない時代だったからだ。
それも、少年誌で、架空の流石島というところで、訳解らない車がレースをするといっても、ピンとこないのも、無理は無い。  
でも、池澤さんの説得で、ワンクールの連載ということになったらしい。
まあ、あとは皆さんご存知のように、社会現象と呼ばれるほどにまで、フィーバーしていくのだが。

都下の保谷市に、建売の1軒屋を買っていた彼は、頻繁にシーサイドに遊びに来るようになり、ほどなく、マセラティのメラック
を買ってくれた。
次は、365BB,ランボルのLP400S、512BBとほとんど、矢継ぎ早に買い換えてくれた。
当然担当セールスは、私だったから、私の営業成績アップに多大な貢献をしてくれたのは、間違いが無い。

彼は、お客としては非常に良いタイプで、買った車が、自分のイメージではないと、すぐに飽きる人だった。
76年になると、例のスーパーカーブームで、彼にもマネージャーがつくほど、サイン会やら、イベントで、ほとんど、タレント
なみの仕事ぶりのようだったが、彼はその収入を車を買うことで、我々に還元していてくれた訳だ。

年齢が近いこともあり、彼とは当時仲間で旅行にいったり、ツーリングに出かけたりもした。
夜、夕食を食べてから、マージャン大会になるのだが、彼は結構強く、またゴルフをやっても並以上の腕で、勿論、車の運転
も上手く、フレッシュマンのレースで優勝するなど、なにをやらせても器用というか、さすがにメジャーになる人は、なにか普通
の人よりも別のものを持っているなと、思ったものだ。

19992年のフェラーリ348TBを買ってもらったのが最後で、暫くごぶさたしているが、通算で、シーサイドからのを含めると、
20台以上は買ってもらっていると思う。
最近、車雑誌の取材で、一緒になることもあるが、そろそろビンテージもどう ?と振ってみるとあと、5〜6年したらそうなるかも
という返事だった。
まだ、もう少し最新の、早い車が良いらしい。

今彼は、2代目の355に乗っていて、モデナスパイダーを注文しているそうだ。
次回はいよいよ、嵐のスーパーカーブームのこと。


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