〜 シーサイド物語 〜

■ LP500Rが盗まれた! その8

 

1977年ごろ、引退間際の百恵ちゃんと。 この時は小学生向けの雑誌社から依頼をうけて東京の晴海ふ頭で撮影した。
さすがに、スターのオーラを感じたのを覚えている。また、カウンタックも当時は、スター並のあつかいだったようだ。

さて、今回はそのブームの中で、起こった様々なエピソードを紹介しよう。
ブームが全国的になるにつれ、地方の興行主からも問い合わせが入り始めた。
7,8台から10台くらいの、スーパーカー?をセットにして、借りたら何ぼや?というものだった。
そこで、カウンタックを始めとして人気の無いウラッコ、メラック等なんでもいいから在庫の車をワンセットにして貸し出すという
商売を始めた。

会社からすれば、在庫している車を貸し出すだけで、結構な金が入るのだから、降って沸いたようなおいしい商売だった。
その他、ロイヤリティグッズは、文房具からプラモデル、Tシャツと、ありとあらゆるところから商談にきたから、
きっと会社は相当儲けただろう。 残念ながら、私ら社員には特別に手当てはもらえなかったが。

そんな中、仙台のデパートから連絡が入り、1日100万出すから、カウンタック1台持ってきてくれと、言われた。
当時大体1台あたり、30万ぐらいで貸し出していたから、これは美味しい話だった。
社長は、私に行ってこいといい、下見も話もせず、トラックにLP400を積んで先に行かせ、私は会社のおんぼろシビックで、
(社用車は2台のシビックだった) 仙台を目指したのだった。

私はてっきり、デパートの屋上かなんかで、車を展示でもするのかと思っていたら、途中のインターチェンジまで出迎えにきた、
社員が実は行き先は、菅生のサーキットですと言いやがる。

え、そんなこと聞いてないよ、だいいちサーキットで何やるの? と聞いても担当は申し訳ない、もう、代金は振込んであるから、
お願いしますの1点張りだ。
ここまで来たから、引き返すわけにもと、思ってサーキットに着いてみると、デパートのお得意様のお子様達が、
勢ぞろいしていやがる、しかもグランドスタンドの、コース上でだ !!!

その後、私は変わりばんこに、子供を乗せて、サーキットを35周ほどしたのだった。
さすがに、地方のデパートはやることがデカイ。今だったら、こんなこと思いつくかしら?

ちなみに、LP400はサーキット向き?なのかコーナーリングも安定していて、全然問題なかった。
もう1台、ロータスヨーロッパが、招かれてきていて、一緒に走ったのだが、そいつは途中でエンジンがブローしてしまった。
やはり、サーキットはでかい排気量に限る?



うしろは、なつかしい初代、南極観測船、ふじ だ。
百恵ちゃんと、LP400のツーショットなんて、この写真だけでは?

又、あるとき会社に泥棒がはいったことがあった。裏のトイレのまどから侵入し、事務所にあったかぎ箱を壊し、
ショールームに入ってた、カウンタックのLP500,スペシャルといわれた、黒のボデイに白の派手なストライプをまとった車を
盗んでいったのだ。
日曜日の早朝、社長から連絡を受け、会社に行ってみると刑事さんが現場検証をしていた。
ただ、こんな場合でも、人身がからんでないせいか、警察は被害届を受理するだけみたいなものだった。

私は、一旦自宅に戻り、考えてみた。もし犯人の立場なら、おそらく乗り回すためか、金に換えるためかだろう。
でも今回の場合、前者の乗り回すためではないか、と考えた。
なぜなら、同時にベンツの450SEL6,3という、当時最高のベンツもショールームから、引っ張り出していたが、
それは前のガソリンスタンドに、鍵つけっぱなしで放置されていたからだ。

それなら、どこに乗ってった。もし、暴走族風のアンちゃんなら、東京の繁華街か?といえば、新宿か、渋谷、
もしくは六本木あたり、あるいは銀座かと考えた。

当時、私の友達にアメリカンカークラブの親玉みたいのがいて、いつも日曜日は原宿駅近辺にたむろしていた。
彼らは最新の自動車無線を、各車に積んでおり、それを使って仲間同士の連絡をとっていた訳だ。
勿論ケータイなんか無い時代だ。
とりあえず私は、そいつに会って相談してみるかと思い、当時住んでた西荻窪のアパートをでた。
それで、原宿に着いてみると、予想道理彼らが居た。

そこで、盗まれたカウンタックの話をすると なんと、昼間、表参道から原宿駅にかけて、それが走り回っていた
と言うではないか。
これはラッキー、予想道理だと、私は思い、彼らにこの車を捕まえたら、30万円やるといった。
77年の30万は、今なら60〜70万の価値があるだろう。
当然、彼らはすぐに無線で連絡し、30台ぐらいの大捜索が始まったのだ。
時間は其の時すでに、日曜日の夜7時を回っていた。

私はクラブの連中の中でも、特に親しかった細野輝ちゃんのロータスヨーロッパに乗せてもらい、
この劇画のような捜索に加わった。
そして、二人で六本木、赤坂、銀座とまわり、新宿へと戻ってきた時だ、靖国通りと明治通りの交差点で信号待ちをしている、
我々の目の前に、奴は甲高い音とともに、現れたのだった。
今考えてみると、あの広い東京でよくも偶然にしろ、目の前に出てきたものだと思う。

あっと言う間もなく、細野輝ちゃんは、車を見るや否や、ロータスから飛びおりて、LP500Rのドアーを開けようとした。
ところが、ドアーロックが掛かっていて、しかも気がついた犯人は、明治通りを右折し新宿の大ガードの方へアクセル全開で
逃げようとしたのだ。

ここからが凄かった。
なんと輝ちゃんは、小柄な体を一瞬ジャンプさせると、でかいウイングの付いたLP500Rのリヤーから飛び乗り、
左右のエアースクープに両手をかけてカウンタックの真上に跨ってしまったのだ。
呆然とする私を尻目に、LP500Rは輝ちゃんを乗せたまま大ガードの方へ、疾走する。
周りは新宿1の繁華街だ。
そのネオンが両脇で煌々とするなかを、まるで映画のワンシーンを見ているようだった。
我に帰って、私は輝ちゃんの残した、愛車ロータスヨーロッパにまたがった。
ところが、知ってるかもしれないが、ヨーロッパは慣れないとえらく、運点しずらい。
どこに、ミッションが入っているかもわからず、あせりながらも、なんとか私も追いかけていったのだった。




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