〜 シーサイド物語 〜

■ 新宿で大捕り物、LP500Rを捕まえろ!! その9  1976〜1977年

黒のLP500Rが、ショールームから盗まれ、私と細野輝ちゃんとが、新宿で大捕り物をやらかした、話のつずきだ。

新宿の煌々とネオンの光る大通りを、輝ちゃんを乗せたLP500は、甲高いエキゾーストを残しながら、大ガードの方へ
突っ走って行ったが、新宿区役所の信号で急ブレーキをかけると右折して、風林会館の方へ入っていった。
日曜日の夜だったが、さすがに新宿は不夜城で、大勢の人が繁華街にたむろしていたわけだ。

LP500は、そんななかを、輝ちゃんを屋根に乗せたまま、細い路地を入っていく。
見た人は、多分映画のスタントシーンでも撮影しているとでも思ったろう。
私は、なんとか追いついていったが、途中で見失い、仕方なくロータスを路肩に止め、LP500が曲がっていった方に走って
いった。

すると、コマ劇場の手前で渋滞し、タクシーなんかに行き手を挟まれて、そいつは立ち往生していた。
逃げるのを、諦めたのか、犯人は車を降りようとした、そこに輝ちゃんは車をとびおり、怒りのストレートパンチを、そいつに
見舞ったのだった。

私が追いついた時、現場では、輝ちゃんと犯人の若い男が揉みあい、車はかたわらにスイングドアーを開けたまま、止まって
いた。 当然私も、輝ちゃんに加勢し、犯人を押さえ込もうとした。
そこへ、通行人の通報で、近くの交番の警官が駆けつけ、ようやく犯人逮捕となったのだった。
見ていた人は、始め喧嘩でもしていると、思ったらしい。

時間は夜、11時頃だったが、それから新宿署で取り調べが終わったのが、もう空が白み始める朝の4時頃だった。
私は一仕事を終えた満足感で、自分のアパートへ帰ると、昼まで眠ってしまった。
後で、刑事に聞いた話では、犯人はどうしてもカウンタックに乗りたくて、仲間を誘って犯行におよんだらしい。
それで、昼間 原宿で、見せびらかすように、走り回り、一旦実家のある、赤羽まで行き、夜になって、新宿に戻ってきたらしい。
そこでばったり、我々と出会ったわけだ。悪いことは出来ないもんだ。

LP500は、何箇所かに、傷を負っていた。
この車は、実は千葉のヤクザの親分に売っていた車で、整備で、預かっていた所だったのだ。仕方なく、私と社長の二人で、
その親分のところへあやまりに行った。
その人は、太っ腹な人で、「いいよ、綺麗にして返してくれたら。」といって下さった。
そこで、警察の調べが、7日めぐらいに、終わり、証拠物件として、新宿署の裏庭に保管されていたLP500を取りに行き、すぐに
板金塗装屋に入れたのだった。

その後、輝ちゃんに、カウンタックの屋根の、乗り心地はどうだった?と聞いたら、「少し風が冷たかったけど、なかなか良い眺め
だった」との返事だった。
それもそのはず、彼は自衛隊のレンジャー部隊の経験があったのだ。
勿論、彼にはお礼の30万を差し上げた。

専務の、馬場さんは私が勝手に決めたと、渋い顔をしたが、社長が当然だろ、と一言で収まった。
其の時既に、私の上司だった樋口さんは退社しており、私が営業部長として責任を取っていたので、この事件は私にとっても、
会社にとっても、早い解決ができて、良かったのだった。

次回は、いよいよ、フイリピンが登場する、シーサイド崩壊の前夜の話だ。


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